過去にあった高校野球の名勝負
野球観戦が昔からの趣味でシーズン中には暇さえあれば球場に足を運ぶ私ですが、実はプロ野球だけでなく高校野球もかなり好きだったりします。プロ野球の場合毎年新人が加入したり往年の名選手が引退したりといった入れ替わりはあるものの、基本的には長く一つの球団にとどまって選手は活躍をしていきます。
そんな球団内の成長を見ていくのも面白いのですが、それ以上に高校野球は短い2年半という時間の中で多くのドラマを作っていくというところに魅力があります。私の出身校ではないのですが、当時通っていた地域には高校野球の甲子園常連校があり、学校の行き帰りに泥だらけになって練習をしている選手たちをよく見かけていました。
社会人になってからもなんとなくその高校のことを応援したくなって、甲子園を勝ち上がってかなりいいところまで行った年には実際に甲子園球場まで出かけていったこともあります。毎年大型ルーキーが登場してきたり、因縁の対決からの名勝負が生まれたりと、チーム数が限られているプロ野球とはまた違った毎年その時だけのドラマがあるというのが1番の魅力と言えます。
個人的に記憶によく残っている名勝負
ここ10年くらいの甲子園の名勝負の中でもやっぱり1番インパクトが強かったのは平成18年の夏の甲子園決勝戦でしょう。
カードは言わずと知れたマー君こと田中将大選手のいた駒大苫小牧とハンカチ王子として一世を風靡した斎藤佑樹選手のいた早稲田実業です。この二人の投手の投げ合いは本当に鬼気迫るものがあり、8回までお互い無失点、8回表裏で両チームが1点ずつとってから延長15回まで再び無失点が続き、翌日の再試合となります。
再試合でも3対4と最後の最後までどうなるか全く読めないまさに高校野球史上に残る名勝負となりました。この決勝戦での引き分け再試合は37年ぶり2度めということもあって大注目を集めましたね。
引き分け再試合は実は翌年の平成19年夏の第二回戦の佐賀北対宇治山田商や、平成20年春の三回戦である平安対鹿児島工でも行われているのですが、いずれも相当な熱戦となりました。プロ野球と違って高校野球ではトーナメント戦で次々と勝ち上がっていかないといけないためどうしても雌雄を決する必要があるということもまたこうしたドラマを生む一つの要因ですよね。
技術よりも執念や気迫がテレビを見ていても十分に伝わってきます。
地方予選にも細かい名勝負がある
テレビや新聞で紹介される試合というと、どうしても甲子園本番から先ばかりになってしまいますが、実際には地方予選でもかなりの名勝負が展開されていたりします。
私の地元の高校野球地方大会でもたくさんの名勝負を見てきたので、おそらく全国各地で同じようにさまざまな勝負の形が展開していったのではないかと思います。
ただやはり高校野球の場合はプロのようにある程度実力が拮抗しているというわけではないので、時々とんでもないスコアが出たりします。過去の高校野球の勝負で最も点差がついた試合は青森県大会での122対0というものが記録されているそうですが、他にも10点~20点差はわりと甲子園本大会でもよく見られる内容です。そんな試合一つ一つが全く予想できない展開で進んでいくというところもまた高校野球ファンとしても見どころですね。
厳しい練習の是非
智辯学園や明徳義塾のような甲子園常連校は、よく学校に野球部員用の寮を設けてたりするんですが、選手を鍛える環境が整った学校はやっぱり強いですね。
もちろん、先に挙げた斎藤君は、下宿で兄と一緒に暮らしてましたし、早稲田実業のような強豪の高校でも寮を持っていないケースもしばしばです(早稲田大学のほうには学生寮がありますが)。このように選手専用の寮があることで、中学校で有望だった選手が遠方から引越し、入学入部をしたりすることもあるので、こういった育成環境の整備は強い選手を鍛える秘訣だと思います。
ただ、令和のような現代においては、夏の甲子園の開催やピッチャーの連投など、選手の安全性に関わる問題が指摘されたりしています。私も、甲子園好き野球好きを公言こそしているものの、この辺の問題については上手な着地点を見つけてほしいと思っています。実際「野球だけをさせる環境」についても正しいとも思えませんし、世間的にもかなり問題視されたりしていますからね。